のぞみ / 訪問記 ・ 2026年8月

名古屋のあるホスピスを
訪ねました

ホスピスに着いたら、夏祭りをしていました。

黄色い壁に七夕の飾りが下がっていて、スイカの切り抜きが貼ってあって、みなさん「祭」のうちわを持っていらっしゃいました。カラオケの機械が出ていて、金色と銀色のポンポンが振られていました。

職員の方たちは仮装をしていました。金色の衣装、虹色のかつら。
いちばん派手な格好をしていたのは、代表の方でした。

車椅子のまま、歩行器のまま、みなさんそこにいらっしゃいました。

七夕と夏祭りの飾り
その日の壁

私たちは、静かな場所を想像して行きました。


私たちは、まだ何も始めていません。
だから今日は、すでに始めている方のところへ、教わりに行きました。

「面会」と言わない場所

代表の方は、もと看護師です。以前は病院のホスピス病棟にいらっしゃいました。

そこで見たのは、ただベッドに横になったまま亡くなっていく姿でした。家族には会えず、面会の時間は厳しく決まっていました。これでは、尊厳のある最期は難しい。

一方で訪問看護では、家族と暮らしているうちに、かえって家族との生活のほうが苦しくなってしまう。

病院のホスピスと訪問看護と、両方の限界を見たから、自分で始めた。そう伺いました。

その方は、入居者を「お客さん」と呼んでいました。もうひとりの家族だとも。
家族はいつでも来られる。お酒も煙草も、目安はあるけれど自由に。延命はせず、痛みだけをとる。

私たちがホームページに「面会ではなく、お客さんを迎える」と書いたのは、つい先日のことでした。

それは、私たちが考えついたことではありませんでした。すでに、している人がいました。

その方は、こうもおっしゃいました。

「死ぬことは、悲しいことではない。
体が離れるだけです。」

その言葉の意味が、あの部屋にありました。
ベッドに横になったまま亡くなっていく場所ではなく、虹色のかつらをかぶって、うちわを振る場所でした。

そして — その方は、百歳近いお母様を、ご自分のホスピスに迎えていらっしゃいました。

この場所をもっと広げたい、ともおっしゃっていました。
理由はお金ではなく、何かを残したいからだと。

私の日本語はまだ拙いのですが、その方はご自分の理解力で、こちらの言いたいことを汲んでくださいました。

教わって、帰りました

そこで、長く医師をされていた入居者の方にお会いしました。姿勢がまっすぐで、礼儀が身体に染みついた方でした。

「何かおっしゃりたいことはありますか」と伺うと、その方は私を学生のように扱いながら、こうおっしゃいました。

「手術室でもどこでも、決まっていることには理由がある。勝手に変えてはいけない。その理由がわかるまでは、変えるな。」

私は43歳です。それでも、その方の前では学生でした。

「韓国の医学は日本から来たので、私は先生の遠い後輩になります」と申し上げると、その方はこうおっしゃいました。

「日本の医学だって、みんなヨーロッパとアメリカから来たんだよ。」

これも、この文章と同じことでした。誰も、自分ひとりで考えついたわけではない。

人生で後悔していることはありますかと伺うと、返ってきたのは医療の話ではありませんでした。家族と過ごす時間のことでした。二番目に出てきた話で、短い言葉でした。

話を終えるとき、その方はご自分の食べていたお菓子を、私の前にすっと押してくださいました。

その部屋でお客さんを迎えたのは、その方のほうでした。

「ルールが多すぎる」

そのあと、代表の方がご本人に尋ねました。「ここで、なにか物足りないことはありますか。」

「ルールが多すぎる。」

その方は煙草をよく吸われ、ウイスキーを飲みながら外で本を読まれるそうです。おそらく、ずっとそうしてこられたのだと思います。

私が「先生は病院でずいぶん自由になさっていたから、そう思われるのではありませんか」と申し上げると、その方は大きく笑われました。

お酒も煙草も自由で、家族がいつでも来られる場所です。それでも、住んでいる方にはルールが多いのです。
尊厳は、施設が与えるものではなく、決まりごとの少ないところに宿るのかもしれません。

そして、私が信じられると思ったのは、その不満をご本人に直接尋ねたのが代表の方だった、ということです。

友だちが遊びに来るのに、マスクをつけろと言いますか

代表の方は、入居者を「お客さん」と呼びます。
だとしたら — お客さんの友だちが遊びに来るのに、マスクをつけろと言うでしょうか。

これは代表の方のお考えです。そして私も、同じように思います。

お酒も煙草も、あの場所では自由です。
余命六か月と言われた方に、四十年吸ってこられた煙草をやめさせる。「体に悪い」というのは、未来があることを前提にした言葉です。未来のために、いまを差し引く。その計算が、六か月では合いません。

家族が最期に会いに来て、マスクをつけさせられる。
最後に見る顔が、半分隠れている。

私が問題にしたいのは、決まりの数ではありません

感染対策そのものを否定しているのではありません。理由があるのなら、続けるべきです。
先生に教わったとおりです。

「決まっていることには理由がある。
その理由がわかるまでは、変えるな。」

問題は、誰も考えていないことです。

コロナから何年も経ったのに、いまも入口で体温を測り、マスクを配っている場所があります。
なぜそうするのか、もう誰も尋ねません。

その裏返しも、先生の言葉のとおりだと思うのです。
理由を誰も言えなくなったのなら、それは決まりではなく、ただの惰性です。

決まりのない場所をつくる、という意味ではありません。
決まりの一つひとつに、「なぜ」を書けるようにするということです。書けないものは、置きません。

これを読んで厳しすぎると思われる方とは、たぶん合いません。
それでいいと思っています。合う方とだけ、やります。

ひと月ぶんの言葉

あとで代表の方から伺いました。その方は普段あまり話される方ではなく、その日に話された分量は、たぶんひと月ぶんだろう、と。

質問がよかったからではないと思います。
その方に「教える人」の役が戻ったからだと思います。

私たちがすること

事務所では、請求の作業がずっと続いていました。どこも同じです。書類は、そばにいる時間から差し引かれていきます。

こういう場所を、私たちがつくるのではありません。もう、あります。

私たちがしたいのは、こういう場所が生き延びて、増えることです。

そのために、書類と請求と移動の段取りを機械に引き受けさせます。
人が、そばにいられるように。

2026年8月・名古屋にて

のぞみ(仮称) 名古屋を拠点に準備中
nozomi-hospice.jp / natsu@nozomi-hospice.jp