NOZOMI — 名古屋 · 準備中
最期の瞬間のそばは、いつも人間のものである。
それが、この会社の一つきりの考えです。
書類も、請求も、移動の段取りも —
機械にできることは、すべて機械が引き受ける。
人は、そばにいることだけをする。
誰かが死んでいく。
そこへ、お客さんが来る。
それが、村です。
施設とは、死んでいく人を村の外へ動かす装置でした。
その逆をする場所 — 死を、村の中へ戻す場所のことです。
そこでは「面会」とは言いません。お客さんを迎えると言います。
面会を受ける人は管理される人ですが、お客さんを迎える人は、まだ自分の家の主人だからです。
これは、私たちが考えついたことではありません。
名古屋のあるホスピスを訪ねて、教わりました。そこでは、もう何年も前から、入居者を「お客さん」と呼んでいました。
すでに、している人がいました。
ひとりで最期を迎える人は、これから増えていきます。
日本だけの話ではありません。世界が向かう場所に、日本が少し早く着いただけです。
それを問題として指さすつもりは、ありません。
そういう時代に、どんな家が要るのか — その話がしたいだけです。
家族がいることを前提にしない家。
身元保証人がいなくても、断らない家。
そして — さびしさは、治せません。
約束できることは、ひとつだけです。さびしさをなくすことではなく、最期の瞬間に、そばに人がいること。
それ以上を約束したら、嘘になります。
介護の費用は、社会のみんなで出しています。40歳になった日から、まだ介護を受けないうちから毎月払いはじめます。
問題は、額ではありません。そのお金の多くが、そばにいる時間ではなく、書類と移動に消えていることです。
払う人にとっても、受け取る人にとっても、それは望みではないはずです。私たちは、そのお金がそばに届くようにしたい。
最後にいる場所が、施設ではなく村であるように。
面会ではなく、お客さんを迎えられるように。
— これが、私たちの目的です。まだ届いていません。
記録に追われて、そばにいる時間がなくなることのないように。
記録は、あなたを見張るものではなく、あなたを守る盾であるように。データの一次的な権利は、現場のあなたのものです。
今日、私たちが最初にお手伝いする相手です。
書類も、請求も、監査の備えも — 機械にできることは、機械が引き受けます。
— 詳しいご案内は、まだご用意できていません。お問い合わせいただければ、そのままお答えします。
なぜ、いちばん下から始めるのか。
お年寄りのそばに人がいる時間をつくるには、まずその人を雇っている事業所が、単価の下がる時代を生き延びなければならないからです。順番を飛ばすと、誰も助かりません。
書類が減っても、訪問の数は増やしません。空いた時間は、そばにいる時間と、休みと、ご家族へ返します。「三件を六件に」は、私たちの言葉ではありません。
看取りひとつにかかる社会的な費用を公表し、毎年下げていきます。値段が見えれば、不安は小さくなる。適正の次は、適価です。
足りない訪問と、多すぎる訪問を、同じ重さで見ます。売上が減る方向の警報を切れる設定は、つくりません。判断のよりどころは私たちの外 — 主治医の指示書と公的な指針に置きます。
入居者を「お客さん」と呼ぶのなら —
お客さんの友だちが遊びに来るのに、マスクをつけろと言うでしょうか。
余命六か月と言われた方に、四十年吸ってこられた煙草をやめさせる。
「体に悪い」というのは、未来があることを前提にした言葉です。未来のために、いまを差し引く。その計算が、六か月では合いません。
家族が最期に会いに来て、マスクをつけさせられる。
最後に見る顔が、半分隠れている。
感染対策そのものを否定しているのではありません。理由があるのなら、続けるべきです。
あるホスピスで、長く医師をされていた入居者の方に教わりました — 「決まっていることには理由がある。その理由がわかるまでは、変えるな。」
問題は、決まりの数ではありません。誰も考えていないことです。
コロナから何年も経つのに、いまも入口で体温を測る場所があります。なぜそうするのか、もう誰も尋ねません。
理由を誰も言えなくなったのなら、それは決まりではなく、ただの惰性です。
決まりのない場所をつくる、という意味ではありません。決まりの一つひとつに「なぜ」を書けるようにするということです。書けないものは、置きません。
これを読んで厳しすぎると思われる方とは、たぶん合いません。それでいいと思っています。合う方とだけ、やります。
「私自身も、
ここに入りたいか。」
— すべての決定は、この問いで判定します
それは「死にに行きたいか」ではなく、
「住みたいか」という問いです。
毎日ひとつ、調べてわかったことを書きます。宣伝ではありません。
数字は公開統計に基づく推定です。間違いが見つかれば、訂正して残します。
名古屋のホスピスに、お邪魔しました。着いたら、夏祭りをしていました。七夕の飾り、「祭」のうちわ、金銀のポンポン。職員の方たちは仮装をしていて、いちばん派手な格好をしていたのは代表の方でした。車椅子のまま、歩行器のまま、みなさんそこにいらっしゃいました。
私たちは、静かな場所を想像して行きました。
代表の方は、もと看護師です。病院のホスピスで「面会の時間が厳しく決まっていること」に疑問を持って、ご自分で始められたそうです。そして入居者を「お客さん」と呼んでいました。
私たちがこの頁に「面会ではなく、お客さんを迎える」と書いたのは、その数日前のことでした。それは、私たちが考えついたことではありませんでした。すでに、している人がいました。
もうひとつ教わりました。「死ぬことは、悲しいことではない。体が離れるだけです。」 — その言葉の意味が、あの部屋にありました。
→ くわしい訪問記を読む「面会」ではなく、「お客さん」。病室の人は面会を受けますが、縁側の人はお客さんを迎えます。同じ訪問でも、来る人の資格がちがう。ホスピスは、死ぬための場所ではなく住みたい場所でありうる。
創業者の言葉から — のちに、現場で同じ言葉に出会いました(08.18)看護師さんの残業理由、第1位は「記録・報告書」でした。残業する人の69.2%が挙げています。ただし12年前の調査です。いまも同じかどうかは、これから現場で確かめます。
日本看護協会 訪問看護実態調査(2014年・複数回答)一日のうち、直接ケアに使えているのは55〜60%ほど。残りは記録・移動・電話・書類に消えています。
複数調査からの推定。現場は一度お邪魔しましたが、この数字はまだ伺えていません単価が10%下がると、平均的なステーションは赤字に転じます。損益分岐点は月341回訪問から379回へ。利益率の緩衝は、令和4年度の決算で5.9%でした。直近の令和6年度では10.3%まで戻していますが、単価−10%はその緩衝をほぼ使い切る規模です。
厚労省 介護事業経営実態調査ほかに基づく推定2026年 · 準備中
はじまりは、「死ぬのにもお金がかかるのは、あまりに悲しい」という一言でした。
名古屋を拠点に、準備を進めています。いまは、現場の声を聞くことから始めています。
この頁は完成品ではありません — 私たちの会社と同じように、直しながら育てていきます。